小袋成彬「分離派の夏」


アルバムについて話したいわけではなくて。
あ、もちろんいいアルバムなので聴いて損はない一作ではあるのでまだの方は是非。

このアルバム、ちょっとした語りが入ってて、その中で「何かつくりたい衝動」みたいな話をしてて。
それを聞いて少しすっきりした気持ちになった。

そうなんだよね。せいじも何かをつくりたいっていう衝動は常にあって。
それは本当に何かであって具体的なものはない。あえて言葉に置き換えれば芸術作品。
芸術っていうとなんだか大層なものに聞こえるかもしれないけれど、結局はあってもなくても別に良くて、せいじが生みださなくても、世の中に芸術っていうものは溢れているし、仮にもしなにもなかったとしても生きる上で困るものではない。ただの自己満足の塊、自分の存在を自分という存在が消えてしまっても存在たらしめるもの。なんの役にも立たない。

でもつくりたいんだよね。
表現したいっていうのかな。
その手段はなんでも良くて。今技術的にせいじの中で一番高いのは書道だけど、それを使って表現したいというこだわりがあるわけでもなく、むしろ書道というものにとらわれると表現の幅は狭くなってしまうという考えに支配されているところがあるから、逆に難しかったりもする。
ただ、他の表現技法を使おうにも心に映ったものを外部にそのまま吐き出すための技術がせいじには備わってなくて、なんだかずっともやもやと消化不良のような、溢れ続ける感情のようなものが体の中にとどまり膨れていて不快なんだよね。にごりのような。

それがふとしか瞬間に自分の理性的な感情を飲み込んで苛立ったり、落ち込んだりといった焦燥感を生み出す。
そんな日々を送っているわけだけど、
今回のこのアルバムを聴いて、あー、割と近しい人はいるんだなあとね。
同族嫌悪って言葉があって、せいじは割とその傾向は強い方だと思うんだけど、まあある意味それは同志みたいなものでもあって、多少なりにも肯定的な感情を発するきっかけになったりする。

つまり、そんな気分。

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