楽しくないとねー


 なんていうか、せいじのやってることって、せいじ自身が楽しくないと意味ないわけで。

 普通に会社員でお仕事している人は、
その仕事が楽かろうが、つまらなろうが、
やりがいを感じようが、役不足と思おうが、
給与が発生する以上、それだけの価値においては、誰かしらの役に立っているわけで、
どんなに自分の仕事に迷ったり、悩むことがあったとしても、そこに帰結すれば、意外と前を向きやすい。

 でも、せいじのやってることって、可能性としては、対外的に評価され、誰かの楽しみになったり、お金を生み出すこともあるけれど、そうならない可能性も高くて。むしろその方が高くて。
つまり、その行為自体を自分が楽しい、やりたいと思っていないと、それは全く意味がない行為になってしまう。結果がいつ出るのかも、本当に出ることがあるのかわからない中で、続けることができるのは自身が楽しいと思えるか否かにかかってるのに、その気持ちがぐらつくと、途端に不安になったりする。

 そして、この楽しいっていう感情がまた難しくて、スポーツでもなんでもそうだけど、上達したければどんなにしんどくても、辞めたいと思っても無理やり自分を奮い立たせて、追い込んで、やり続けなければならないという側面があって、その一時に関しては楽しいという感情はほぼない。
それでも頑張れるのは明確な目標設定があって、頑張ればそこにたどり着けるのではないかという希望があるから。普通の高校生がオリンピックを目標に努力しようとしても、それはやっぱり続かないと思う。
自己記録の更新だったり、身近な大会の優勝だったり、スポーツ以外だったら、テストでいい点とるとか、英語話したいとか、頑張れば、達成できそうだと自分自身がどれだけ信じられるか、明確にイメージできるかが大切。
 
 で、何が言いたいかというと、今のせいじは色々と不安定な感じになっております。
やっぱり目標設定なのかなあ。ただ、それを達成するための明確なものが何も見えてこないー。五里霧中。
ただ、せいじが歩いている道は何かしら手を動かし続けないと、前に進むことは全くないということだけは理解している。でも、無理やりしているときはあまり楽しくなくて、それが本当に進むべき方向へ歩みを進める手段として、正しいかどうか確かめようもなくて、間違っていたら全く意味がなくて、その不安な思いが動かす手を止めて、手を止めたことがまた不安を煽って、みたいな。楽しいと思えることをしようというのが基盤にあるというのは、なかなか怖いことだよね。そしてせいじが本当に前に進みたいと思っているのかも甚だ疑問である。
とりあえず、クッキーを食べよう。

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