コラム「今日のせいじも可愛い」 第2回『一時帰国』


 コラム第2回。〆切は遅れたもののなんとか第2回。第1回とテーマかぶりの仕事の話だ。
 先日友人から、一時帰国するので、仲の良かった数人で集まろうという連絡が来た。楽しみである。
 高校時代からの友人だ。せいじは人間関係を継続させることがあまり得意ではないようで、定期的に会うという行為をする関係性が続いているのは、高校時代関係しかないのだ。せいじは人生における選択の場面をよく振り返るのだが、高校の選択は良いものだったのだろうと振り返るたびに思っている。
 今回は高校時代が楽しかったという話ではなく、友人たちは着実に歩みを前に進めているということだ。「一時帰国」という響きはカッコいい。友人の口からそのような言葉を聞くことになるとは。せいじは二十歳であるが、せいじの同級生たちは今年度32歳になる。仕事を初めて7年程度か。一般的に7年も経てば、仕事内容はもちろんのこと、自分のその仕事における適正や能力を把握できていることだろう。そして、このまま仕事を進めていけばたどり着くであろう場所も見えてくるころだと思う。会社という枠組みで仕事をしている人たちに関していえばだが。
 それは良いことだ。早い段階で自分の進む道を選択し、着実に前に進む。相対的な評価が価値を持つ、この日本社会において、その行為はその評価を高めることに繋がっているはずだ。また、着実に歩みを進めたからこそ選択できる新たな道というものもできる。ゴールの見える道を歩き続けることは楽しいことだと思う。そのゴールが納得できるものであるならば。もしそうでないならば、その新しく見えてきた道を進んでみるのも楽しいだろう。その新たな道はこれまでの積み重ねがあってはじめてできた道であるのだから、何も知らない自分に示された道とは異なり、しっかりとした構造で下支えされたものであろう。そういう道を作り出すことができる歩みは素晴らしいということだ。
 さて、せいじの話に戻ろう。せいじはいまだに迷走しているようだ。予定ではこの「一時帰国」という言葉はせいじがそろそろ使う予定だったものだ。それでも、少しづつ前には進んでいると思う。ただ、歩みが遅い。もっと危険なのはどこかこの状況を楽しんでしまっている節があるところだ。明確な仕事があれば、疲れていようがなんだろうが、日々頑張るのだろうが、今のせいじにはそれがない。一日何もしなくても、構わないし、逆に何かしたとしても、それが誰かの役に立つような状況にもない。眠るとその日が終わってしまうようで、このまま眠って一日を終わらせてしまっていいのだろうかと自問しながら、ベッドに入る。悩む。悩むが気づくとすやすやと眠っている。健康的だ。健康が一番だ。心も体も疲れていては良いパフォーマンスなど発揮できない。という自分への甘い発言を繰り返すせいじに「一時帰国」という言葉を使う日は来るのだろうか。

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