ミニマリスト


今日は二つのことがあって。
まず一つ目。
ちょっとした展覧会に行って、そこにあった作品にせいじがあれこれ言ってたら、「そういうネガティブな発言しない方がいいよ」的なことを一緒に行った人に言われてね。
誰が聞いているかわからないし、もちろん展示した本人が横にいるかもしれない。
ネガティブな発言は人を傷つけるし、良い点見つけて褒めた方が確かにいい気がするし、生産的な感じもする。
それに、今回はその場でせいじがそういう発言すると、せいじと一緒にいた人にも迷惑をかけちゃう状況でもあって、確かにと思って気をつけようと思ったんだけど、それと同時にせいじはやっぱり人と一緒に何かをするのって無理だなとも改めて思った。
 せいじって、前からたまに「意外と言い方きついよね」って言われることあって。割と思ったことはずけずけ言うタイプで。それでも自分的には多少オブラートに包んでるつもりなんだけど、まわりの人が聞くと全く包んでなく聞こえてるみたいで。で、別にせいじはそれを変えるつもりは全くなくて。
 せいじの発言で人を傷つけることがあるのはもう自分で許容しているというか覚悟している。他人を傷つけないために自分を抑え込むなんてことができるほど人に優しい人ではない。とはいっても、そこは黒か白かではなくバランスであり、例えば展示会でひどい作品を見た時、「この人、作品つくる意味ないね」と思ったとしても、そういう否定ではなく「こことここひどいね」みたいな具体的な否定程度に抑え込んでるとは思う。半分無意識に、半分は意識的に。ここのラインが他の人から見ると、まだ、オブラートに包んでいるとは言えるラインには程遠いみたいなんだけど、それはもう、それがせいじだから。せいじの人生30年かけて作り上げてきたものだから。まあ10年後ぐらいにはまた変化しているかもしれないけど、変えた方がいいよと言われ変わるものでないし変える気もない。でも、こういう感じだと、多くの人と関係性を築いていくのは難しいなというのも割と理解してて。だからやっぱりせいじは一人で頑張っていかなくてはと改めて思ったわけだ。
 やっぱり、新しい人と関係を持つっていうのはなかなかいいよね。改めて、自分を知るいいきっかけになる。あ、この展示会に一緒に行った人っていうのはここ1か月ぐらい、せいじがちょっとお手伝いに行ってるとこの人ね。せいじの発言にちょいちょい不快な感じになっているみたいだから、そろそろ来ないでって言われそうな気もしてる(*’▽’)
 ちょっと話変わるけど、「批判はだれでもできること、良いとこを見つけて褒めるようにしよう」
的なことってよく言われてて、教育の場面では一理あるけどそれ以外だと全くそんなことないよね。作品をみて、いまいちな部分が目に付くから批判するのであって、いまいちな部分があっても、それを補うきらっとしたものを感じたら、そこを評価するよ。いいところをあえて探さないと褒められないようなものは褒める価値なし。この前花展に行ってみてもそうだけど、芸術的なもので、人の感情を揺さぶるって相当なパワーがないと出来ないことだと思う。そこで、妥協の褒め言葉なんていらないよ。せいじの書道の作品も褒めようと思えば褒める部分はあると思うのね、線が綺麗ーとか躍動感がーとかね。でもそれと、感動を覚えるとか、何時間でも見ていられるとかは別次元なんだよね。まあ、そういうことよ。褒めることは確かに受け手としては気分良いし、そこをもっと伸ばそうって気になるから必要だとは思うけど、無理に褒めるのは全く持って必要ない。勘違いもするしね。っていう価値観の中でせいじは生きているので、いや私は違う風に考えるよって人がいたとしたら、「へー」って感じで、寄り添う気も合わせる気もさらさらないから、「さよなら」って感じになるという話。
 で、もう一つ。佐々木典士っていうミニマリストでちょっと有名な人の座談会みたいなのに参加したんだけど、せいじ、かなりものにあふれた生活はしてはいるものの、ちょっと近しいものを感じた。ミニマリストではないけど、ミニマリスト感はあるというか。ミニマリストとはいうものの結局考え方は同じというか、当たり前というか。
 色々な柵が多くなって来ればそれを外したくなのはごく自然な考え方。その人はものを捨てることでそういったことをリセットして、また新しく構築し出したみたいだけど、何かをリセットするのに、実際に物を捨てなくても、それはできるわけでね。せいじも意外とリセットしてるのかなあと思ったり、リセットしきれてないのかなあと思ったり。
 その人的には最終的に人間関係が大切かな~とか、まあ、割と言い切る感じではなく達観した感じで話してたんだけど、その座談会に来ている人たちはなんかまだまだなんだろうなって思った。ミニマリストになりたいとか、興味を示すってつまりは現状を変えたいってことで、幸せを感じていなかったり不満があるっていうことでしょ。ミニマリストにその可能性を見出して、来ていたとも思うんだけど、たぶんその人たちは一生探してる気がする。かくいうせいじもどこかで変化を求めてたから横浜に通ってるわけだし、現状に完全に満足はしてないんだろうなあ。
 っていうか、その人、魚と野菜しか食べず、瞑想とかヨガしてるって言ってて、あ、お友達のお兄ちゃんに近しいものを感じるって思った。そのお兄ちゃんもどこか達観している感じがあって、食事も野菜と魚でヨガしてて仙人みたいな感じがあるんだよね。で、せいじも瞑想とヨガはちょいちょいしてて。本格的な奴ではなく、完全我流なんだけど。色々なものから解放されると、そういった感じになっていくのだろうか。
 でも座談会っていうのはやっぱり駄目だね。座談会と言っても、佐々木さんがいて、進行役の人がいて、その人たちの会話を40人ぐらいの人が聞いているといった形式で。せいじはちょいちょい発言を挟みたいわけよ。一方的に聞かされてると途中でうわっとなってくる。批判したいとかではなく、なんだろう、トマト嫌いなんだよねえ、って話してたら、あーせいじも嫌いーって言いたくなる感じ。別にそれを後からせいじもトマト嫌いなのってその本人に伝えるのでは意味がなく、その場でそれを言いたいの。だからこう一方通行の座談会はやっぱり性に合わない。
 だからブログっていいよねえ。こういう風に引っかかってたことをわちゃーっと文章にしちゃうと結構すっきりする。
 まあそんな感じで、少し感情が動く日でした。そうそう、ミニマリストの話の導入で、ブッダでてきて、あー、せいじの方向性もブッダみたいな感じって思ったから近しいものを感じたのかも。
 せいじの方向性はブッダ、キリスト、ミッキーマウス。最近、ミッキーマウスが追加された。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です